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2006年1月の7件の記事

日本料理の食卓作法Ⅰ―B

<B.日本料理の大別>

       本膳料理(武家社会) 会席料理(町人文化) 懐石料理(茶の湯)
       精進料理(仏教修行) 普茶料理(中国仏教) 卓袱料理(唐人伝来)

1.本膳料理(武家社会)

武家社会の中で確立されていったこの料理は、作り方・出し方・食べ方に厳密な作法があり、会食自体も、午後から始まって夜更けまで長時間かかるという、大変なものでした。

本膳料理には次のような膳が用意されましたが、現在ではほとんど出されることはなく、一部略式の料理が残るのみとなっています。
      
       
本膳(一の膳) 二の膳 三の膳 与の膳
      五の膳 六の膳 七の膳 引き替え膳 夜食膳

略式本膳…別名「袱紗(ふくさ)料理」
(「袱紗(ふくさ)」とは、「略式」という意味があり、本来の本膳を略した料理となります)

上記のうち、本膳(一の膳)と二の膳に、焼き物膳または引き落とし膳が付きます。
一汁三菜(一の膳のみ)、一汁五菜(二の膳付き)、二汁五菜(三の膳付き)などがあり、本式の本膳料理ほどは、出し方や食べ方にこまかくは無いようです。

2.会席料理(町人文化)
この料理は、江戸時代の中ごろに裕福な商人達によって考え出されたと言われています。

もともとは、趣味の「俳諧」の会に集まった人たちに出された料理で、こういう集まりを「会席」と呼び、その席での料理ということで「会席料理」と言われだしたようです。
      
      
先附 前菜 お椀 お造り 煮物
      焼物 揚物 酢の物 食事 水菓子


この料理は、お酒を楽しむために考え出された料理なので、料理そのものの形式や食べ方に、これといった決まりごとはありません。

出し方にも特に決まりはないのですが、現在では、洋食のフルコースのように1品ずつ出てくる、「喰い切り料理」と呼ばれる方法が多いようです。

3.懐石料理(茶の湯)
この料理は、茶事に出される料理であり、本来は、お茶を美味しく飲んでいただくために、亭主が心づくしのものをお出しするという、簡素な食事のことです。

基本的に、茶事以外で出されることは無いのですが、「会席」と音が同じため混同され、和食店の一部でも「懐石」と表してしまうところがあるようです。
      
      
折敷(ご飯・椀・向付) お酒 椀盛り 焼物 強肴
      箸洗い 八寸 湯斗 香の物 薄茶 濃茶

4.精進料理(仏教修行)
この料理は、日本料理の根元とも言われます。
仏教の教えに基づき、肉・魚介類を使わずに仕上げた料理のことですが、他の料理とは一線を画しています。

それは、この料理が「本膳」や「懐石」のように様式ではなく素材を表していること、また、料理をする人の心の在りようや仕事に対する姿勢など、修行の一環としての料理方法、食べ物、食べ方までが「精進料理」というものの意味に入ってくるからなのです。

しかし一般的には、修行僧達の食事ではなく、「客膳」といって、参詣者向けの料理のことを指すことが多いようです。
      
      
向付 汁 前菜 ご飯 椀盛り 口取 
      揚物 浸し物 吸い物 香の物 湯桶 季の実

5.普茶料理(中国仏教・茶)
この料理は、京都宇治にある「黄檗山(おうばくさん)万福寺」から広まった精進料理で、煎茶流とかかわりが深く、「煎茶道の懐石料理」とも呼ばれています。

万福寺の開祖は、中国からの帰化僧(明の隠元禅師)であり、そのため中国風の料理、卓のしつらえとなりました。(円卓で、大皿盛りということです)

「普く(あまねく)茶をふるまう」という精神から、上座下座の無い円卓を囲み、料理も大皿に盛り込みになったものをみんなで取り分けるという、「仏の前ではみな平等」という思想が反映されています。
      
            
素汁 麻腐 前菜 笋羹 油鰦 鉢 澄子 
      添菜 飯箪 東坡煮 骨董煮 醃菜

6.卓袱(しっぽく)料理(唐人伝来)
この料理は、長崎独特のもので江戸時代の元禄年間に始まったとされています。
唐人船で渡ってきた中国料理の影響を受けて、円卓に人数分の料理が並びますが、さらにオランダの影響も受け、「和華蘭(わからん?)」折衷の料理となっています。

ちなみに、「卓袱(しっぽく)」とは「テーブルクロス」のことです。
1人分ずつ出るのは、初めの「御鰭(おひれ)」と最後の「梅椀」だけであり、他の料理はすべて大皿盛りで出されます。
      
            
御鰭 小菜盛(刺身 豆類 酢の物 
                             口取り三品盛り・揚げ物 焼物 香物)
      中鉢 大鉢 水菓子 梅椀

※小菜盛の数は、奇数の品数(5品・7品など)で出されます。

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日本料理には、上記のほかにも「○○料理」と呼ばれるものがたくさんあります。
郷土料理にも多くの特色があり、枚挙にいとまがありません。
いやー、ホント良いとこだよね、日本:笑

さて、いっこうに「マナー」に進まないけれども、まあこのあたりを押さえておいて、ぼちぼちやりましょ~♪                 続く……

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母は着物で…

母が和裁の勉強を始めたのは、私が小学校4年生のころだった、かな…?
「お母さんも学校に行くことになったの。同じ年には卒業できるかなぁ?」って言われたのを思い出すし、学校帰りに何回か、母の通っていた和裁学校まで遊びに行ったこともあったっけ。

裁縫箱は学校指定のおそろいを持ってはいたけれど、くけ台や大きな和ばさみなど、和裁学校にある道具はどれもあまり見たことが無く、色とりどりの縫い糸や、仕立て途中の生地やら布地やらが、とてもきれいだった事が懐かしい。

手先が器用でやる気に満ち溢れていたウチの母は、和裁を本格的に習う前も、浴衣や単衣なら自分で縫っていたし、子供達の洋服もミシンや手縫いで作ってくれ、さらに手編みと編み機でセーターや帽子、手袋などをせっせと編んでくれた、とてもマメなひとであった。

そしてまたこの母は、子供達としゅうと、しゅうとめに夕ご飯(当家は18時が夕食とキビシク決まっておりましたΣ)を食べさせたら、父が帰宅する前に、着物に着替えて出迎えるひとでもあった…:笑
当時、純真な子供だったわたくしは、ご町内のどのご家庭でも、父親が帰宅する時には母親がきちんと着替えて出迎えると、大真面目に信じてたんだよ~@@

や、自分ち、フツーのサラリーマン家庭でしたよ。
父親も単身赴任とかしてたし、母の口癖は「もったいない」だったし、パートにも行ってたし、なにも特別なお家柄でもありませんでした、はい。

まてよ……父も、帰宅すると着物を着ていたっけ……ラクダのシャツに、股引の記憶もあるぞ…あれれ?このイメージに一番近いのは、もしかしてもしかして、磯野家の波平さんかっ…??:爆笑

まあ、もちろん普段着だったから、正絹ということは無かったと思うし、ウールのアンサンブルか、良いとこ混紡の小紋だったと思うけど、それでも子供心に着物をきた母親を「良いな~」って思って見てた。
晴れ着じゃない、ほんと普通の、普段着の着物―。
「なんで着るかって、寒い日は着物のほうがあったかいんだよ」って言って、かっぽう着の母は笑ってたっけ♪

こう書くと、なんだか最後にソフトフォーカスのかかった映像が「古き良き時代のニッポンのお母さん」てタイトルを掲げて出てきそうだけど:笑 
いやいや、この母、良いと悪いの区別が口で言ってもわからない時、全力で子供をひっぱたく強いひとでもあったΣ
とても出来の悪い娘だった私は、何度ビンタされ、ぶんなぐられたかわからない:笑
まあ、それは別の話として……@

やっぱり私が着物好きになったのは、母があの日々に着ていた普段着の着物と、仕事として真剣勝負で縫い上げた、たくさんの着物や帯を、間近で見ていたからなんだと思う。
着付けなんか本格的に習ったことないけど、私の着物は、母のあの姿からずっとつながっている気がしている―。

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日本料理の食卓作法Ⅰ―A

今日は旧正月、旧暦1月1日の元旦です。
七十二候では「鶏始乳」(にわとりはじめてにゅうす)、「鶏が雛を孵すために、卵を温めだすころ」という意味です。

旧暦で生活していたころの日本人は、今とは比べ物にならないくらい、もっともっと季候に敏感だったのでしょう。
また、そうでなければ、農耕民族、採集民族としての生活が成り立たなかったに違いありません。

TVニュースで、蝋梅(ろうばい)が満開になったとの話題を見ながら、
「ああそうか、蝋梅って本当は今頃が満開なんだ。昔からお正月の彩りとして、
小さい鉢植えや枝ものの生け花を飾るのは、だからなんだ」
などと、あらためて思ったりして:笑
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日本料理食卓作法 …昨日の続き…

<A.日本料理の成り立ち…続>
古い「大和言葉」で、稲の神様は「サ」と呼ばれました。そして、食べ物のことを「ケ」と言ったのです。

そのことから、食べ物を入れる器を「笥」(ケ)と呼ぶようになりました。

万葉集「家に在れば笥に盛る飯を草枕 旅にし在れば 椎の葉に盛る」


稲の神様には、お酒が捧げられました。
これにはいろいろ説があるようですが、おかゆ状の米が偶然、天然の酵母菌によって発酵し別の物になる不思議が、神様のしたことだと考えられたこと、そしてまた、目に見えない神様は、人間と同じような蒸した米は食べられない、と考えられていたことなどが理由のようです。
ですから、神様「サ」の食物「ケ」で、「サケ」(酒)と呼ばれるようになったわけです。

奈良時代になると、中国から揚げた小麦粉のお菓子「唐菓子」などが入ってきます。
これは今も、奈良や京都の古いお寺で、当時そのままに「お供え」として作るところがありますね。

そして国内では、塩以外の調味料の原型「醤(ひしお)・未醤(みそ)・豉(くき)」などが少しずつ生まれてきつつありました。
また、広がった仏教の影響で、肉食を避けるようにもなってきます。

平安時代になると、貴族の間ではかなり贅沢な食事をするようになりました。
ある日の有力貴族の食卓には、焼いた鮎、鯛の膾(なます)、牛乳を煮詰めて作った蘇(そ)、甘葛(あまずら)で煮た栗など、十数種類の食べ物が並んだそうです。
一説によると、有名な「藤原道長」は、美食が祟って糖尿病だったとか…。

時代が下がって鎌倉時代、それまでは1日2食だった食事が、1日3食になってきます。
灯明用の油が一般にも広がり、就寝時間が遅くなったからだと言われています。

室町時代には、調味料として「味噌・醤油・砂糖」などが一般にも普及してきます。
安土時代には、ポルトガルから「テンプラ」「カステラ」などが入ってきました。
桃山時代には、武士の間で「茶の湯」が流行し、茶懐石の料理が生まれます。

そして日本料理は、続く江戸時代の400年間でほぼ形式と料理法が確立され、完成時代を迎えるのです。

また、細長い国土のため、日本は東西でも料理に特色があり、東は江戸を中心とした「武家社会」の料理、西は大阪・京都の商人を中心とした「町人文化」の料理が発達しました。

江戸時代以降は、開国による欧米文化の流入や明治維新による東西の交流、武家社会の崩壊、そして天災である大震災などを経て、現代へとつながるわけですが、そうして現代に形として残った「日本料理」を大別すると、次の6つになります。

        本膳料理 会席料理 懐石料理
        精進料理 普茶料理 卓袱料理

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「日本料理」と聞いて、みんなどんな料理を思い浮かべるのかなぁ~?

温泉旅館の豪勢な夕ご飯、回ってたり回ってなかったりのお寿司、すき焼き、ウナギに牛丼、焼き鳥なんていう人も居るかも―。

その他にも、トンカツ~♪とか、カレーライスっ!ていう人もいるかもしれない:笑
いやぁ、やっぱ母ちゃんのメシでしょ!、という人だっているよねきっと♪

どれもみんな、ある意味で「正解」だと思うんだけど、でも↑で書いたみたいな料理も、大切にして受け継いでいきたい、とつよく思う今日この頃…。

なぜなら、料理は「文化」だからね。
命をつないでくれる「食べ物」に根ざした「文化」を、忘れたくないなぁ~♪♪ 

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日本料理の食卓作法Ⅰ―A

<A.日本料理の成り立ち>
日本は、周りを海に囲まれ、はっきりとした四季のある気候がさまざまな食べ物を提供してくれる、とても恵まれた国です。
また、旧くから大陸の影響もあり、日本古来のものと交じり合って、独特の食文化を作り上げてきました。
現在の研究では、縄文期には稲作が始まって、日本人にとって大切な「米」が食生活に登場したようです。
おそらく当時は、「炊く」よりも「蒸す」「煮る」という方法で食べられていたのでしょう。

さて、今日はそのあたりからお題をひとつ―。
  「おかず」のはじまりと、稲の神様
いまよりずーっと昔々、お米を蒸して食べていたころのお話です。
蒸しあがったご飯は、大勢で車座に座った真ん中に置かれました。足つきの「高台」に、円筒形に高く盛りつけられていたそうです。

そしてその周りには、山海のものを調理したいろいろな皿を並べ、副食としてめいめいが好きなものを取ってご飯と一緒に食べたとか―。
ご飯の周りをめぐるように置かれたため、「おめぐり」と呼ばれたそれらの副食は、また種類が多く、たくさんの数が並んだため、「かずかずのもの」という言い方から、いつしか「おかず」と呼ばれるようになったのですね。

日本人が主食と副食を分けるようになったのは、だいたい弥生から奈良時代にかけて、と言われています。
現代まで続く、「ごはん」を「おかず」で食べるということは、実はこんなに昔から始まっていたのでした。

さて、農耕民族である日本人は、命をつなぐ大切な米ができる「稲」に、神様が宿っていると考えました。
古い「大和言葉」には、現代まで残っている、この神様にちなんだ言葉がいくつかあります。
  稲の神様のこと → 大和言葉では「サ」と呼ばれました。
  神様の垣根   → 「サ」の「カキ」で、榊(さかき)の木のことです。
  神様の座(くら) → 「サ」の「クラ」で、桜の木のことです。

厳しい冬が去って春が来ると、桜の木には美しい花が咲きます。
春になって山から降りていらっしゃる神様の座にふさわしい、そう昔の人たちは考えたのでしょうね。
(神様が降りてらっしゃったから花が咲く、ということでもあるのかな…)

ところで、神様は人間ではありませんから、同じ食べ物は食べない、と考えられました。
となると、「サ」の食べ物「ケ」、の出番です。
「サ」の「ケ」、そうです。「さけ(酒)」とは、もともとは「神様の食べ物」という意味なのでした。

あ~、面白くなってきたなぁ:笑 やっぱり日本って良い国だよねっ!!

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「食卓作法」の会場で…

旧暦12月26日は、七十二候のひとつ「水沢腹堅」の頃合です。
厳しい寒さによって、沢がすべて凍る様子を表しています。四季の移り変わりを感じることができる旧暦を、
もっと暮らしの中に取り入れたいですね♪
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私が持っている資格は、(社)日本ホテル・レストランサービス技能協会が認定した
「日本料理食卓作法講師」というものなのですが、一般にはまだまだ知られていません。
そもそも、お客様の反応が「えっ?!日本料理のテーブルマナーなんてあるのっ?!」
というものですから、そうそうマナーの受注件数は増えないのですが―@@

私が取得したのは、平成12年でした。当時この資格試験は2年に1回しか実施されておらず、取得しようと思ってから、まるまる1年間待った覚えがあります。今はどうなんでしょうね…。
    興味のある方はこちらから→ http://www.hrs.or.jp/

私の職場では、年間で15件ちょっとの「テーブルマナー・食卓作法」をお受けします。
日本料理は、そのうちの5~7件ぐらいかなぁ…。
中国料理は年に1件有るか無いか、他はやっぱりフランス料理ってことですね♪
学校の場合、これはほとんど高校と専門学校になるのですが、ほぼ100%がなぜかフランス料理です。
かたや、日本料理のマナーを頼みたいとおしゃるのは、公務員や教職員の団体様、または会社単位でのご利用なのですが、ここで問題が一つ―。
参加される皆様の男女比と、開催される時間帯によっては、大変なことになるのですねぇ…Σ

日中の開催で、女性が多く参加されている場合はまず問題無いのですが、夕方から夜の開催で、男性の参加が半分以上だったら、すでに結果は見えています…Σ
そう、お父さん、お兄さん達の脳内では、「マナー」は「講習会」では無く、ただの「宴会」に自動変換されてしまうのです。

会社ぐるみの参加だから、仕方なく来ているのもわかります。
目の前の料理が、いつもの宴会料理にしか見えていないのも承知しています。
あーだこーだ堅苦しいのが大っ嫌いなのも、ゆるめたネクタイに大股広げたその座りっぷりで理解しています。
この土地の皆さんが事あるごとに「メシに金かけてどーする。安くて量があって腹いっぱいになれば良い。」と言ってるのも先刻承知の介でございます。
「細けぇこと言いたいなら勝手にしゃべってろよ。俺らは後ろのほうで勝手に飲んでるからよ」とばかりに、ビール瓶とお銚子持ってあちこちのテーブルに注ぎまわってるのもよ~く見えます。こちとら演台に居るんだからさ、やれやれ:笑 

―はいは~い皆様、いいですかぁ~、それをね、「マナー違反」と言うんですよ~っ!!:爆

私はロッテンマイヤーさんではなくヘタレ女将ですから、こうなっても事態の収拾はいたしません。
「私の、私の力が足りないのよぅっ!お客様を黙らせるだけの講師としての力がっ!」なんて泣き崩れることもいたしません:笑
確かに、力不足なのでしょう。「酒」と引き合って、80人全員を最初から最後まで集中させておく力が、私にはまだまだ足りないのです:Σ 「酒」に力負け、ですからね。
だけどね、楽しく飲み会モードに突入している人達に、今さら「正しいお箸の使い方はですね!」なんて言ってもね、何にも始まらないでショ。

まあ、こういうケースの場合、単純に事の善悪では無いと思うのですが―。

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仕事中に見ているもの

開店前のミーティングで時々、私がスタッフに言うセリフがあります―。
それは、「仕事を見て、人を見ない―そういうことが無いようにね」ということなのですが…。
仕事を見てるならケッコウでしょう?いちいち人を見なくても、仕事さえきっちり出来れば良いのでは?いや、むしろ人を見ていたら仕事にならない!
この言い分、なんだか一理ありそうですが、実は全然「ケッコウ」ではありません。

サービス業を長くやっていると、時々このワナにはまります―。
新人さんもベテランさんも、ワナにはまる理由は別々なのですが、なぜか同じようにひっかかる、悪魔のワナです:笑
ベテランさんがはまると、往々にして「コンプレ」(苦情)にまで発展してしまう怖いワナ…。
その正体はというと、仕事に慣れて数をこなしていくにしたがい、お客様のリアクションにだんだん注意を払えなくなる、ということです。

サービス業は生身のお客様が相手ですから、本来、10人いたら10通りの接客があるはずなんですね。
(もちろん10人に対して、等しく一定のレベルのサービスをしてから先の話、ということになりますが…)
料理を一品出すだけでも、10通りのリアクションが有る、あるいは無い、だからそれをキャッチして、次のサービスにつなげよう、ということなのです。

それには、ちゃんとお客様の顔を見なければなりません。
料理を出したときの様子、会話、どんな小さなサインも見逃さないように―。
サービス員として、そのリアクションをちゃんと受けとめようね、料理はちゃんと出てんだから、それで良いんじゃないって言うなら、そんな仕事はわざわざ人間がやらなくっても良いんだよ―。
まあ、私が言いたいことは、そんなことなんですが…。

ある日の接待の席では、商談の邪魔にならないように―。
いつの間にか料理が出ていて下がっていて、お酒の追加がスムーズで、部屋係の顔もよくわからなかったけど、気がついたら想定の時間内で会食が終わってた。これがベスト!
またある日の女性だけの会食会では、料理の説明をきちんとわかりやすく―。
めいめいに献立表を付けるけど、読み方や当て字の説明や、ちょっとした作り方の話なども少しずつ、お酒が飲めない方には、美味しいお茶を切らさないように。これがベスト!

それぞれのお客様が何を望んでいるかを汲み取ること―。
簡単なようでいて、し続けることが難しい、でもそれが何よりサービスマン、サービスウーマンには必要だと思うのです。

あ!新人さんがはまる理由を忘れました。それは、ただ一つしかありません:笑
単純に仕事に慣れていないので、とにかくするべき事をこなすのに精一杯、とてもお客様のリアクションまで見られません!ということなのです―。
だからチームワークとして、周りのベテランさんがフォローしなければなりません。
やっぱり「人を見る」こと、忘れるわけにはいかないのです:笑

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振り返ると…

前職から、予告無しの人事異動で日本料理店の「女将」になって12年―。

よちよち、よろよろと歩き出し、あちこちぶつかり、邪魔にされ、蹴られもしたけど助けられもした日々を回想しつつ、365日同じことが起きない客商売の面白さを、ヘタれながらも少しずつ綴っていこうかと、ブログを始めてみました。

それにしても、「日本料理」の世界に足を踏み入れて驚きました。生まれも育ちもれっきとした「日本人」なのに、慣れ親しんでいるはずの「和食」には、生まれて初めて見る聞くことのなんと多いことか!      

大女将からの引継ぎはゼロ、覚えることは山のよう、スタッフは年下も年上も全員、自分より長~いキャリア持ちの先輩たち―。    

当然、素人の新人女将の言うことなんて、誰も聞いてはくれません:笑

ジェットコースター某フ○ヤマ連ちゃん乗りよりも、スリリングな毎日でしたねぇ…。

なにしろまず、何が解らないのかがさっぱり分からない:笑

びっくりしている間にもお客様に笑われ、仲居さん達に叱られ、板場に怒鳴られる毎日……それで涙涙の日々かと思いきや、残念、わたくしには「泣く」なんてゼータクでヒマなこと、まったく許されないのでありました:爆笑

いや~、思い知りましたね。「泣く」ってことは余裕が無くっちゃ出来ないってことを…。

しかし、もともとサービス業が大好きで、面白いから続けられたし、「日本料理」の世界をもっと知りたい!と思えたことが、この12年続けてこられた最大の理由なのかもしれません。

振り返ると、本当に「あっ!」と言う間の時間でした。

やってきたこと、今すべきこと、これからやるべきこと、それを考え直すためにも、このブログを大切にしていきたいと思います。

……続くのか?自分!!

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