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桃の節句と曲水の宴

在所では、13時過ぎから雪が降りだし、1時間ほどかなりの勢いで降り続きました。
お昼にみえたお客様方に「雪が降っております」と申し上げると、まるで冗談にしか聞こえないようで、玄関先ではじめてびっくりされていました:笑

勢いはあったものの、幸い積もるほどではなく降ったそばから融けていきましたので、お客様の足元にもそうご不便をおかけせずに済み、それが何よりでした。

さて、今日が本番の「桃の節句」ですね―。
本来は、旧暦3月はじめの「巳」(み)の日が、「上巳」(じょうし)「元巳」(げんし)とよばれて五節句の一つになりました。

昔中国では、3月初めの巳の日に水辺に出て禊(みそぎ)を行い、酒を飲んで災厄を祓うということを行っていたそうです。
昨日ご紹介した「奇数が重なると陽気が強すぎて陰に転ずるから、それを祓う」というのは、それよりも後になって出てきた「陰陽道」の考え方ですが、「上巳」の祓えと結びついて次第に3月3日になっていったようです。

日本古来の厄祓いとしては、身に受けた災いや穢れ(けがれ)を、身代わりの「形代」(かたしろ)に移して、そのまま水に流して捨てるというものがあったのですが、その形代を「人形」(ひとがた)または「撫物」(なでもの)と言いました。

紙で出来た人形に息をふきかけてから、身体中を撫でて穢れや厄を移し、海や川に流して捨てたわけですね。
これが、「流し雛」や「送り雛」の原型となっており、現在でも鳥取県の用瀬などではとても美しい風習として残っています。

このようにもともとは、子供成人男女の区別無く行われていた祭りでしたが、ずっと時代が下がってきて、江戸時代に町人の間でも「雛飾り」をするようになると、桃の花の優しいイメージからか、特に女児の健やかなるを願う日となったそうです。

そして雛の節句には「蛤」(はまぐり)が欠かせませんが、これは二枚貝である蛤の貝殻が、上下一対のもの以外の貝殻とは決して合わないことから、女子の「貞節と和合の象徴」として使われるようになったのです。

平安時代から室町時代以降、江戸時代まで行われた「貝合せ」「貝覆い」という遊びも、この、貝殻が一対しか合わないことから考え出されたのですが、美しく塗られ、内側に絵や歌を書き添えられた貝殻とそれを収める道具は、嫁入り道具の一つでも有り、雛飾りの調度の一つにもなっています。


さて、旧暦3月上巳の日、3月3日に行われたもう一つの行事が「曲水の宴」(きょくすいのえん)と呼ばれた、たいへん風流なものです。
他にも「曲水流觴」(きょくすいりゅうしょう・「觴」とは、さかずきのこと)や「盃流し」(さかずきながし)などと呼ばれていたそうです。

これは、曲がりくねった小川や水路の上流から酒を満たした盃を流し、それが自分の前を通り過ぎる前に詩歌を詠じ、盃を取り上げてその酒を飲む、というものでした。
もちろん庶民の楽しみではなく貴族階級の宴でしたが、今でも京都や岩手県平泉ではイベントとして行われ、その映像がニュース番組で流されたりしています。

新暦ではまだまだ寒さの残る時期ですが、旧暦ですとちょうど1ヵ月後あたり、まさに「仲春」の名にふさわしい頃の、みやびな風習ですね。

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